1995年12月19日
深夜に目覚ましが鳴った。
寝起きの悪い自分だがワクワクする時は決まってパッと目を覚す。
テレビをつけると始まったボクシング中継。
「ホルヘ・カストロ vs 竹原慎二」
日本人がミドル級を獲れるはずが無い、そういうことか、この試合は生中継ではなく深夜の放送だった。
当時はネットもスマホも無かったので情報を遮断するのは簡単だった。
いつも私は試合前に色々と展開予想するのだが、この試合は竹原慎二が勝つイメージが出来なかった。
まあ初めて観るミドル級の世界戦、半ば記念のような気持ちで試合を見届けていた。
しかし竹原慎二がダウンを奪う、そしてスピードで圧倒、観ているこちらも徐々に前のめりになる。
そして文句なしの判定勝ち。
深夜にほっぺたをつねって「夢じゃない」と喜んだのだった。
2017年05月20日
日本人初のミドル級チャンピオン誕生、一生で一度見れるかどうかの快挙。
当時はそんな言葉も「大袈裟な」と思っていたが、それからミドル級王者は1人も誕生せず、20年以上が経過していた。
「生きているうちに本当に見れないかもな」
「当時後楽園ホールで観た人は貴重だよ」
もう期待することすら忘れていたそんな時に彗星の如く現れたのが2012年のロンドンオリンピック、ミドル級で金メダルを獲得した「村田諒太」だった。
世界に通づるパンチ力を持ち、発言もインテリジェンス、そして何よりもスター性がある。
「この選手なら世界チャンピオンになれるかもしれない」
そう思わせてくれるほど、そして期待通りの快進撃で、世界初挑戦まで登りつめた。
私は有明コロシアムにいた。
当時後楽園ホールに行けなかった後悔を振り切るかのように声を枯らして声援を送っていた。
あっという間の12ラウンド。
終始攻め続けた村田諒太の勝利を確信して試合後は手が震えるほどだった。
しかし結果が発表され手が上がったのは対戦相手の方だった。
「ここまでやっても無理なのか」
「やはりミドル級の壁は高い、世界王者は本当に見れないかもな」
2017年10月22日
「疑惑の判定」そんな文字がスポーツ紙を飾り、すぐに再挑戦のチャンスがおとづれることになる。
「もうここまできたら追いかけるのみ」
私は両国国技館にいた。
前の試合の続きで13ラウンド目が始まったと思うほど、初回から村田諒太はギアを上げていた。
そしてその瞬間は唐突におとづれた。
7ラウンド終了後に相手がギブアップしたのだ。
ほっぺはつねらなかったが「これは夢じゃない」と喜んだ。
悲願だったミドル級王者誕生の瞬間を現地で観ることが出来たのだった。
2022年04月09日
村田諒太は王者を獲ってすぐに「この階級には強い王者がいる」「そこに挑戦したい」と宣言していた。
ボクシングファンならすぐに思い浮かべただろう「ゲンナジー・ゴロフキン」だ。
そしてボクシングファンならすぐにこう思っただろう「それの実現は難しい」と。
ゴロフキンといえば世界チャンピオンでも「Sランク」の選手で、実力者であり、人気者である。
しかし村田諒太はミドル級というハードなクラスで世界王者という地位に必死にしがみつきながらゴロフキンへの気持ちを諦めることをしなかった。
気持ちを持ち続ける人には神様も手を差し伸べるのであろう、不可能だと思われたゴロフキンとの試合が決まるのであった。
私はさいたまスーパーアリーナにいた。
とても良い試合だった。
こんな夢のような舞台を見せてくれた村田諒太には感謝の気持ちでいっぱいだった。
2023年03月28日
村田諒太は都内のホテルで現役引退会見に臨んだ。
オリンピックの金メダリストという華々しいスタートだったが、それは逆に考えると相当な重圧だったと思う。
そんな錘が外れたこの日の村田諒太は時折清々しい笑顔を見せてくれた。
日本ボクシング史に残る選手だった。
あなたと同じ時代を並走できて本当に嬉しく思う。
本当に感謝しかない。
ありがとう。
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